コラム

電車の見える診療所から(第18回)

昨年の夏以来、診察室はマスク姿の母子が目立ちました。新型インフルエンザの感染予防ですね。マスコミが新型インフルエンザの報道を毎日のように流してまして、ことあるごとにマスクと手洗いとうがいを3点セットで視聴者に訴えていましたからね。1918年のスペイン風邪が流行した時も「マスクをかけぬ命知らず!」って恐い標語のポスターがあったそうで。
実際、感染の危険性が高い場所のひとつが病院でしょう。また感染とは関係なく春先には花粉症対策としてのマスク使用も多くなりました。なんか最近はマスクが冬から春にかけてのファッションのようです。
ところがこのマスク、顔の下半分を覆い隠しているのですが、会話のさい困ることがあります。相手の表情が判らないのです。診察の時のやりとりで口の動きが判らないと納得しているのか、不満なのか、喜んでいるのか、怒っているのか、安心なのか、心配なのか声の調子だけでは十分に把握できかねます。僕はできるだけ相手の目を見て話すようにしていますが、目は口ほどにはものを言いません。
会話は言葉の抑揚や強弱だけでなく表情(目や口の動き)や頭、手足の動きまで読み取ってこそ十分に理解できるものです。これらをパラ言語情報といいます。ですから電話では心底判ってもらえないかもしれません。ましてやメールでは何をかいわんやです。絵文字を使ってもダメ。

患者さんのお母さんとの会話中によーく観察してみました。即ち、口を隠した場合と目を隠した場合は、どちらが相手の気持ちを理解しやすいか。
マスクほど多くはありませんが、サングラスをかけたお母さんも時々来られます。その一人にイタリア人の母親がいて、すっごく美人です。ご主人は日本人で日本語はペラペラなんですが、僕はお調子者で知っているかぎりの外国語を喋ろうとするクセがあります。ボンジョルノ!に始まって、診察が終わって帰り際にアモーレ!(愛そう)、カンターレ!(歌おう)、マンジェーレ!(食べよう)と言うと実に嬉しそうに、「ソノ3ツガアレバ、ダイジョウブネ」と言ってくれました。大きなサングラスなので目はわかりませんでしたが白い歯がこぼれるような笑顔に本当に喜んでくれたと確信できました
(*^_^*)

以前にテレビ番組でこんな実験していました。別の発音をしている口の動きを見ながら、ある発音を聞くと違う発音に聞こえるほど口の動きは大切なのです。相手の口の動きで言葉を読み取る読唇術なんてのもあります。できれば会話の時はマスクを外したいものですね。

電車の見える診療所から(第17回)

嘱託医として健診に行った保育所に4歳のインド人の女の子がおりましてね。初対面でしたが「ナマステ」(ヒンズー語でコンニチハ、貴方に感謝って意味かな)と言って手を合わせると、ニコッと笑って同じ挨拶を返してくれました。以後、僕の診療所に来院した時、診察後は必ずナマステと合掌してくれますが、その仕草がとてもサマになっていて感動すら覚えます。生まれた時から、そういう環境で育ってきたのでしょう。宗教のバックボーンがあるに違いありません。

宗教は最高の道徳であり倫理です。わが国では、戦後、憲法20条によって公教育から宗教教育が排除され道徳教育は地に落ちた感があります。

かつては、各家庭に仏壇があり、毎朝お祖母ちゃんが御仏飯をあげ、仏様、ご先祖様に手を合わせ、子ども達もそれを見て育ち、仏様、閻魔様、極楽、地獄を方便とし日常生活の中で道徳教育を受けていたと思われます。それが家庭に無くなった今、保育の場において、再現できないものでしょうか。仏教は実にいいことを説いています。「諸悪莫作、衆善奉行」いろんな悪をしてはならない、いろんな善をしなさい。「十善戒」では殺生していけない、盗んではいけない、嘘をついてはいけない・・など当たり前のことではありますが宗教ならではの説得力(抑止力)があります。四恩では親の恩、衆生の恩などを説き、感謝することを教えます。ありがとう。いただきます。ごちそうさま。おかげさま。心からこれらの言葉が出るようになれば自他共に幸せになるはずです。末法の世、ますます乱れるであろう日本、世界を救うのは仏教の正しい教えではないかとスキンヘッドの小児科医は考えるのであります。(在家ながら5年前に剃髪しました)

電車の見える診療所から(第15回)

 僕の診療所は土足ですから、子どもたちには外からの延長です。
ずいぶん前のことですが、診察室にスキップしながら入ってくる女の子がいました。いつも笑顔が素敵で仕草がアルプスの少女ハイジを彷彿とさせるので、ハイジと呼んでおりました。そのハイジが幼稚園の頃だったと思いますが筋ジストロフィーという難病を発症し、まさか、あの子がと愕然としたものです。この病気はほとんどが男子で女子では稀なので、なおさら「なんで!」って思いでした。徐々に全身の筋力が低下していく筋肉の病気で今のところ治療法はありません。

 ハイジは福岡市立こども病院に通っていましたが車椅子での生活を余儀なくされ寝返りも自力では出来なくなっていたとのことでした。それでも県立高校をちゃんと卒業していて、久しぶりに出会ったのは彼女が二十歳過ぎだったと思いますが、数人の友だちに囲まれて電車に乗っている時でした。友だちが車椅子を押してくれて福岡に遊びに行く途中だったようで、ひと目で分りました。幼い頃のハイジとまったく変わらぬ笑顔だったのです。

 また歳月がながれ、今春、一枚のハガキを受け取りました。
【GOOD TIME `08 パーチメントクラフト作品展のご案内】この案内状の余白に自筆で「御無沙汰しております。成長したハイジ(笑)をよかったら見にいらして下さい」とありました。僕はパーチメントクラフトて何か知らなかったのですが、特殊な紙に彩色して針で小さな穴を開け、これまた小さなハサミで切り抜いて作品を仕上げるものです。初めて見て作品の素晴しさ、作業の細かさにビックリしました。お弟子さんにも指導しているそうで、僕にもやり方を見せてくれましたが、こりゃまた根気の要る仕事やねぇと感心しきり。筋ジストロフィーは前腕から手指にかけては長く筋力が保たれるので、この作業がなんとか可能なのでしょうが、お見事というほかありません。海外からも注文がくるそうです。お母さんの話では向学心に燃えインターネットを使ってのサイバー大学で勉強も猛烈にやっている由、睡眠時間3時間足らずということもしばしばだそうです。ただし椅子に座っていて首が後ろに倒れると自力で戻せなくなり窒息しそうになるそうで、お母さんの苦労も並大抵ではないでしょう。発病以来、本人はもとよりご家族のご苦労は大変なものだと思います。とりわけお母さんはハイジと一心同体となって頑張ってこられました。でもハイジもお母さんも明るく前向きです。僕はこの母子には「生きる」という意味をしっかり教えられた気がします。

ありがとう。

小児科 春日市の医療法人 横山小児科医院へのお問合せ